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起業に至るキャリアパス 〜キャリアに行き詰まって社長になった話〜(1)
今回は自分の話です。
少々長くなりそうですが、お付き合いください。
弊社ではここ数年学生インターンの採用を続けています。
このブログ執筆時で、エンジニア2名、プランナー2名、アシスタントプロデューサー1名の優秀な人材がそれぞれの分野で活躍してくれています。
(残念ながら今現在は募集を停止している職種もあるのですが、またいつか再開予定です)
余談ですが、うち2名は中国からの留学生で国際色豊かなチームになっています!
そんな彼らに、このブログ執筆のため「社長に質問したいこと」を聞いてみました。
次なるインターン生の採用のため、同じ立場の学生に有益なことを書きたいと思ったからです。
結果、さまざまな質問が集まりました。
これから数回に渡って、これらの質問に回答していくことを通して、以下のような話をお伝えしていきたいと思います!
- GAGEXで大切にしたい価値観や働き方
- GAGEXに入社するとどんな良いことがあるか
- GAGEXに向いている人、ゲーム業界に向いている人
今回は、そのシリーズ1回目です。
ゲーム会社を起業するまで
いろんな質問が出たのですが、今回話題にする質問の類型をまとめます。
- なぜ社長自身はゲーム業界を志望したのか
- 大手から独立するに至った経緯
- 今までに経験していて良かったこと
- 学生のうちにやっておくべきこと
要は、私がどんな人生を経てGAGEXというゲーム会社を経営するに至っているのか、でしょうか。
その過程で「やっていて良かったこと」はあるか、という質問と解釈したいと思います。
学生の皆さんですから、自分のキャリアの行く先や、足元、何をしたら良いのかは気になりますよね。
ゲームが作りたくて回り道していたら社長になっていた(なるしかなくなった)
まず先に簡素に結論を書こうと思います。
私の場合、ゲームを作りたいという思いはかなり幼い頃から明確に持っていましたが、なかなか正しいキャリア形成ができず、結果的にゲームを作れるようになるまで時間がかかりました。
30歳前後から、誰もが知っている大手企業でゲームづくりとモバイルビジネスの勉強をさせていただき、やりがいも感じていましたが、キャリアの行き詰まりを感じていました。
結果、自分の持っているスキルセットを最大限活かせる環境を考え「独立系パブリッシャーの経営者」というキャリアパスを選択するに至りました。
簡単に説明して行きたいと思います。
バックボーン
自分語りになってしまって申し訳ないのですが、まずは私のバックボーンから説明します。これがないと話に説得力が出ないので。
おっさんの半生に興味ない人はこのセクションは読み飛ばしましょう。
40年分を箇条書でお届けします!
- 昭和51年生まれ、押しも押されぬファミコン世代。
- 同時にパソコン(当時はマイコンとも言った)にも興味を持つ。
- N-88 BASICという言語で初めてプログラム言語に触れる。
- 雑誌掲載のソースコードを一生懸命打ち込んで動いたときの感動が原点に。
- その後『ドラゴンクエスト』の堀井雄二氏に憧れて、ゲーム開発者を志す。
- 入った高校に2週間くらいで行かなくなり中退する。
- 引きこもってゲームをしつつゲームスクールの夜間コースに少しだけ通う。
- Visual Basic(1.0!)で少しだけコーディングできるようになる。
- でもコーディングよりもシナリオやゲームデザインに興味を持つ。
- 大検(現在の高認)を経て大学へ、モノを書いてみたかったので文学部に。
- 2年留年した末、卒論で初めてまともな小説を書き才能の無さに打ちひしがれる。
- 就職してSEになる。
- 仕様書の書き方(設計)、Webプログラミング、データベースなどをかじる。
- インターネットの黎明に触れこの仕事もいいなぁと思う。
- 「千と千尋の神隠し」を見てコンテンツへの情熱を思い出し転職する。
- ハード・コアで有名な『フロム・ソフトウェア』さんに拾っていただく
- 黎明期のガラケー向けアプリ(iアプリとかのことね)事業の立ち上げを担当
- はじめてまともなゲームビジネスに参加するが、色んな意味で死にそうになる。
- (腎臓結石になって血尿が出る)
- RPGで有名な『スクウェア・エニックス』さんに転職
- 『ドラゴンクエスト』のガラケー版移植などのプロデューサーを担当
- 堀井雄二氏とお仕事をする夢が叶う
THE END
…いやうそです。
- ガラケー公式サイトの運営も担当しビジネスやお金の勉強をする
- 憧れのタイトルを担当できやりがいを感じる
- が、オリジナルを作る機会がない、そもそも作る能力がないことに限界も感じる
- キャリア公式から、モバゲー、GREE等の「勝手サイト」へのパラダイムシフトを体験
- 売り切りからF2P、Webからスマホネイティブへの大変革も体験
- やりたいこと、やれること、やるべきことの乖離が激しくなる
そして、「やりたいこと」と「やるべきこと」を一致させ、且つ、遅まきながら「やれること」を増やしていくチャレンジをするために、独立起業という選択をしました。
もちろん相当な覚悟が必要でしたが、今ではもちろん良かったと思っています。
学生の時に考えていたこと
ゲームメーカーに対する憧れは継続していたものの、インターネットで何かサービス開発してみたりすることも面白そうだったこともあり、SEとかビジネスデベロップメントへの興味が強くなっていました。
同時に、「自分が特別何かのプロフェッショナルではない」という事実に尻込みしてしまって、専門職であるゲーム開発者への道を進むことに躊躇もしていたと思います。
「数学が苦手だった」という、この年齢になってみればクソどうでもいいコンプレックスもプログラマになるという選択ができなかった理由のひとつだったと思います。
今みたいにネットに情報も転がってないし、一人で悶々してしまう時期でした。
キャリアの前半で考えていたこと
心機一転してゲームメーカーでの仕事を始めてからは、遅れを取り戻すためにキャッチアップすることに必死でした。
自分自身が開発をするのではなく、自社IPを使ったモバイルアプリを協力会社と開発するというスタイルでしたが、ゲーム開発ド素人にはついていくのがやっとの経験でした。
この時期、ガラケー向けのアプリという新しいジャンルの仕事を任せて頂けたことで、その分野における第一人者的な知識は得ることができたと思います。
特に、技術的な要件、制限、当時のモバイルにおけるビジネスロジック、何よりゲームを作るということ、など、事業の必要要素を俯瞰してすべて学べたことが、後のキャリアを支える礎となりました。
また、SEだった経験が仕様決定やプロジェクト進行における意思決定、進行管理などに役立つことも学びました。
詳しくは後述しますが、この段階で「何のプロフェッショナルでもない自分」を「何でも幅広く担当できるスキル」を持ったキャリアパスを歩んでいる、と自己定義することでキャリア感が定まったと考えています。
つまり「なんでも屋」ですね。
なんでも屋を肯定できるようになったことが、後のキャリアに繋がっています。
キャリアの後半で考えていたこと
大手のメーカーに転職し、大型のIPを担当するようになってからは、いよいよ「自分のゲーム」を作るためのキャリアを積んでいくことを常に考えていました。
ただし、この時点で確か28歳くらいでしたので、最大手で新卒から叩き上げの猛者たちと競争して勝てるとも思えないのが正直なところ。
この時点で考えていたのは主に以下の2点(だったと思う)
(1)得意かつニッチであるモバイルゲームにキャリアを集中する
(2)今できることを積み上げて実績と信頼を作りチャンスを待つ
おかげさまで「ガラケー向けのゲームアプリのプロデューサー(ゲームのビジネス面での責任者)」という立場では、おそらくコレ以上無いレベルの経験と勉強をさせて頂いたと思います。
この段階で、IPを使ったビジネスに対する考え方、クオリティに対する意識、予算管理、お金に対する考え方、を(足りないながら)身につけたことが、現在ゲームでお金を稼いで生きていけている人生の素地になっています。
ただ、(2)のスタンスに特化しすぎた結果、移殖作品などを中心とした、どちらかといえばディフェンシブな仕事ばかりやるようになり、結果オリジナル作品を生み出していくという本来の目標が遠のきました。
正直いえば、自分ができることだけうまくやるというスタンスの居心地の良さに甘えてしまったようにも思います。当時もそう思ってた。
この時期、当初はガラケーブラウザ向けに、その後スマホWebを経てスマホネイティブへという流れで、いわゆる「ソシャゲバブル」が発生します。
「ガラケー向けのIPモノアプリ」にキャリア特化していた自分としては、少々厳しい流れの到来です。
つづく
とても長くなってしまったので、今回はここまで!
次回は、いよいよ自身のキャリアと向き合い直し、起業へと至ったお話をしたいと思います。
その過程を通じて、以下のようなことをお伝えできればと考えています。
- キャリアを振り返って思っていること
- GAGEXでできること
- 学生に伝えたいこと
ガラケー時代の終焉とともにピンチに陥った社長の運命やいかに!
GAGEXの求人情報
imura
代表取締役
1976年2月、東京都生まれ。B型の水瓶座。
幼少の頃よりファミコンとジャンプに抱かれて育つ。
いつかゲームメーカーを経営することを夢見るモテない少年期を過ごす。
学生時代は麻雀(弱い)と格ゲー(弱い)にまみれて過ごし、2年留年。
恐怖の大王が降ってこないことを確認した後、就職する。
その後、大手ゲームパブリッシャーでのモバイル(フィーチャーフォン)向けコンテンツ事業の経験を経て、2011年春、株式会社GAGEXを設立。
初めて触ったパソコンはPC-8801mkIIFR。
趣味は読書と映画、いずれも最近は摂取する時間なし。
2児の父。